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TOP| デ・ライク醸造所|デ・ライク醸造所の歴史

デ・ライク醸造所の歴史

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現在の当主アン・デ・ライク氏の曽祖父にあたるGustaaf De Ryck (グスターフ・デ・ライク)は、「醸造家となる」という夢をかなえるため、1886年に農家を醸造所に改装。
グスターフは、古くからドイツ・ブレーメンにあった Xum Goldenen Adler(The Golden Eagle=金の鷲)という醸造所で修行したことから、当初醸造所はDe Gouden Arend(The Golden Eagle=金の鷲)と呼ばれました。

軽めの黒ビールUitzet(アートゼット=火事の時、消火より先にビールを担ぎ出せ、と叫んだとされる古い話にちなんだ「外へ出せ」という意味)が地域で評判となり、馬車によって樽で地元に配下されました。

第一次世界大戦が始まりドイツ軍が侵攻すると、ベルギーの多くの醸造所では銅製の釜をドイツ軍に没収されて醸造ができなくなりました。
デ・ライクも閉鎖を余儀なくされましたが、釜のひとつは庭に埋めて隠しておいたため没収を免れました。

1920年、醸造所はデ・ライクという名で再スタート。
モルトとホップだけで醸造された「ベルギーらしくない」アンバービールとして、愛好されました。
1938年から1965年までは、グスターフの息子クレモンがその姉妹二人とともに醸造業を継承。
その後、グスターフJrとポールという二人のいとこ同士が継いで会社化しました。
「クリスマス・ペールエール」や「ロヒュス」などの銘柄が、この2人によって造られました。

ポール(アンの父親)は有名なミュンヘンのスパーテビールだけでなく、ニューキャッスルでも醸造を学びました。
ポールはアンが女の子だったため醸造業に興味を持たないようにと勤めていましたが、「禁じられると興味を持つのは子供の常」とはアン。こうしてアンはババリア地方のいくつもの小さな醸造所を巡って学んだ後、Burry Saint-EdmondsのGreen Kingや、ロンドンのWatneys醸造所などで学び、さらにベルギーのゲントで醸造工学を習得。
25才で醸造家としてスタートし、現在4代目当主となっています。

2004年、アンは新しいチェリービール「クリーク・ファンタスティーク」を発売。
かつて馬屋だった建物(馬は1950年代までビールの輸送手段として活躍していました)を改装して訪問客が試飲を楽しめるホールを作りました。

   

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